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Channel: スポーツナビ+ タグ:鈴木健
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【復活魂】背番号14の意志を受け継ぐもの

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 カープでの「背番号14」は特別だ。 それが分からない野球ファンがカープファンに聞くと、おそらく様々な理由が返ってくると思っている。 ただどんな理由でも、チーム創設の1950年から今まで、1992年に空き番になった以外、「背番号14」は必ず誰かが背中に付けてきた番号なのだ。その存在意義は大きい。 しかも1992年に付いていなかったのもそれなりの理由があるわけで、実質球団創設から「背番号14」は誰かが背負っていたということになる。 更に言えば、1950年、51年に内野手であった田所さんから投手である大田垣さん(その後備前さんに変わる)に「背番号14」が移ってからは、ずっと投手が背負ってきた。 そんな「背番号14」だが、まあ「背番号」というものは球団創設からの歴史を形作る一種の記録であり記憶である。 そのために、それぞれの世代によって、同じ番号でも思い入れが違うものがあるだろう。 例えばカープでいう「背番号1」というものはここ20年ほどだと前田智徳の印象が強いが、過去にはカープ創設期を支えた白石さんに古葉さん、初優勝時の大下さんに黄金時代の山崎さんとチームを代表する選手達が付けており、それぞれのファンの間で思い入れが違うものだと思っている。 そんな「背番号」だが、今回の「背番号14」だって様々な選手が付けてきたところがある。そのためにそれぞれの「背番号14」への思いは違うだろう。 球団創設期だと、前述の大田垣さんや弘瀬さんといった若い投手がチーム初期を支え、1965年からは1975年の初優勝に貢献した絶対的エース外木場さんが79年まで背負った。 その後片岡さんが背負うも怪我で苦しんで1985年から野手転向。 そんな片岡さんから受け継いだのが、津田恒実さんである。 津田さんはここで書かなくても皆さんお分かりだろうが、150キロを超える速球と闘志あふれる投球を武器に「背番号14」を背負ってからは抑えとして活躍し、病気によって選手生命を終えることとなる1991年まで背負うこととなる。 闘病生活をしているということで引退扱いになった1991年の翌年となる1992年は誰も背番号14を背負うことがなかったが、1993年からは前年のドラフトで入団をした鈴木健が背負うことに。 が、結果を残せずに横浜に移籍をすると、次に受け継いだのがドラフト1位で入団をした澤崎俊和。 澤崎は1年目に新人王を獲得する活躍をしたが、怪我に泣いて早期に引退。 その後梅原が受け継いだが、1軍での登板が1年目の3登板のみに終わり、2年目で自由契約に。 そんな梅原の後を受け継いで「背番号14」を背負ったのが、今日の主人公である篠田純平である。 篠田は神奈川県出身。そのためか小さいときから横浜ファンで、特に石井琢朗が好きだったみたいだ。 そんなベイスターズファンだった少年は中学時代に群馬県に引っ越し、高校も群馬県の前橋商業高校に。当時は左投げ左打ちの4番ファーストとしてスタメンに入りながら、時に投球をするといういかにも高校野球らしい起用法をされていたみたいだ。 ただ夏の地方予選で決勝まで進出するも結果的に甲子園に行くことは出来ず、篠田はほとんど無名の存在。 しかし決勝での投球を見ていた日大の関係者が注目し、晴れて篠田は日本大学進学となる。  そして日本大学では投手を専念することとなるが、日本大学は3年次の秋に東都2部に降格した。 そのことを自身の責任だとひどく痛感し、そこから練習に励むことを決意したようだ。 するとその努力が実ったのか、4年になった翌年秋の入れ替え戦で1部の大学に勝ち、チームを1部に戻すことに貢献。 その活躍ぶりが認められ、はずれ1位ながらカープに入団することとなった。 そして与えられた背番号は梅原の自由契約で空いていた「背番号14」。 過去に左投手で「背番号14」を背負った投手はおらず、篠田はチームの歴史に名を記すこととなったのだ。 そんな大きな期待を受けてカープの選手となった篠田。 入団4年目となる2011年までは度重なる怪我で離脱をしながらも左の先発として積極的に起用され、2010年にはキャリアハイとなる6勝、更に100イニング突破。 カープ初の「サウスポー背番号14」として着実に力を付けていたが、2012年オフに左膝の手術をしてからはどこか球に力が無くなるという状態となり、翌年の2013年は1勝もあげることが出来ない状態に。 すると、篠田にとっては悔しい出来事が。 それが、「背番号14の剥奪」である。 しかも背負ったのが、篠田自身がプロ入り初めて0勝に終わった2013年のドラフトで1位指名された、大瀬良大地。 右の本格派であった津田氏に似たような雰囲気を持った若者に、自分が背負ってきた背番号を奪われたといっても過言ではないだろう。  ただ、篠田が2012、2013年と不甲斐なかったこと。 「背番号14」を背負ってきた投手が右の本格派が多かったということ。  篠田自身は勿論悔しかっただろうが、この2点が決定的となったことは彼も分かっていたことであろう。 かくして篠田は2014年から「背番号14」ではなく「背番号21」として再出発することとなったが、「背番号14」を奪われた悔しさを胸に秘めながらも、復活を向けて着実にアピールを続けてきた。 するとその頑張りが監督の目に留まり、先発6番手として起用されると、4月4日、4月10日の試合では共に試合を作る投球を披露。 そしてついに、4月18日の今日、5回2失点と試合を作って2014年初勝利を挙げた。 この勝利が何と2012年の4月以来なのだから約2年ぶりの勝利となるわけだが、個人的には「背番号21での初勝利」を重要視している。 勿論「背番号14」の意志を受け継ぐ者としてこれからも頑張ってもらいたいとは思う。 けどもこれからは「背番号21」として、「背番号14」時代に挙げた勝利数を上回るものを残してもらいたいと思っている。 そうすれば、大田垣さん(備前さん)以来2人目の、「背番号14から変わった投手で、背番号14時代よりも勝ち数が上回った投手」となることができる。 まあ「背番号14」を譲った投手というものは大半が移籍をしたり引退をしているので何ともいえないのだが、篠田にも大田垣さんのように、例え「背番号14」を違う選手に譲ったとしても、新たな背番号で頑張り、結果チームを支えるような活躍を期待したいところだ。 そんな「背番号21」の篠田としての第2の野球人生がスタートした2014年4月18日。 「背番号21」としての18勝目を挙げる時(=「背番号14」時代の17勝を超える瞬間)が早ければ早いほど彼の第2の人生の充実度が分かるので、スポーツ魂!!としては2年以内に達成してもらいたいなと思っている。 それはつまり、カープに足りないと言われていた「左の先発」確立が決定的となり、より一層チーム投手陣が充実するということになる。 そういう点でも、「背番号14」の意志を継ぐ者としても、スポーツ魂!!はこれからも篠田純平を応援していきたいと思う。 「おしい!」から「おいしい!」へ! がんばれ!!篠田純平!! ※そんな篠田にピッタリな応援ソングをお届けしたい。馬場俊英さんの「スタートライン」だ。歌詞が篠田にピッタリだと思う。あとは同じく馬場俊英さんの「青春ラジオ」。これも良い曲である(動画が無いのが残念だ) こちらが「スタートライン」参考URL・https://www.youtube.com/watch?v=R1HkXSVxLyU

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